宝寿院の基本情報
詳細情報
御由緒
紙の町、市川大門町に平塩の丘がある。その他に奈良時代の初期(七三五)行基菩薩の手により、白雲山平塩寺周辺には天台百坊があり、金剛山寶壽院はその西院にあたる。 鎌倉時代の末期(一二七八)夢窓国師一家が伊勢より当地に移る。夢窓四歳の時、母を失い、同時に平塩寺で得度を受ける。その後、奈良の戒壇院で修行を積み、三一歳の折、再び甲斐の国に戻る。 夢窓は母の追悼供養のため、寶壽院境内に築庭し、しだれ桜を植える。当院はその何度かの火災に遭いながらも星霜を重ね、第三六代の住職を数えるに至っている。
引用元情報
「宝寿院 (山梨県市川三郷町)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%9D%E5%AF%BF%E9%99%A2%20(%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C%E5%B8%82%E5%B7%9D%E4%B8%89%E9%83%B7%E7%94%BA)&oldid=88540054
概要
宝寿院(ほうじゅいん)は、山梨県西八代郡市川三郷町にある高野山真言宗の寺院。山号は金剛山。
札所
甲斐西八代七福神第3番 甲斐百八霊場札所第96番