七賢の基本情報
詳細情報
行き方
● お車ご利用の場合 中央自動車道「小淵沢IC」から約11km/17分 中央自動車道「須玉IC」から約10km/13分 ● 電車ご利用の場合 JR中央本線「長坂駅」下車 タクシーで約10分 JR中央本線「日野春駅」下車 タクシーで約12分 ● JR中央本線韮崎駅よりバスご利用の場合 下教来石(しもきょうらいし)行 乗用約30分 「台ヶ原上(だいがはらかみ)」下車 徒歩5分
御由緒
寛延三年(1750年) 初代蔵元 中屋伊兵衛が、信州高遠で代々酒造業を営んでいた北原家より分家。白州の水の良さに惚れ込んで、甲州街道台ヶ原の地で酒造業を始める。 天保六年(1835年) 五代蔵元 五代蔵元 北原伊兵衛延重が、母屋新築の際にかねて御用を勤めていた高遠城主内藤駿河守より、竣工祝に「竹林の七賢人」(諏訪の宮大工、立川専四郎富種)の欄間一対を頂戴する。これが現在の酒名「七賢」の由来となる。 明治十三年(1880年) 明治天皇の山梨県・三重県・京都府御巡幸に際し、母屋の奥座敷が行在所(あんざいしょ)に指定される。その際、六代蔵元北原延世が一夜侍従を勤め、御礼に「白羽二重(白絹織物2反)」、「金五拾円」が下賜された。 大正十四年(1925年) 十代蔵元 北原庫三郎が、法人「山梨銘醸株式会社」を創立、初代社長として積極経営を続け、県下最大の業績を得るに至る。 昭和八年(1933年) 明治天皇の行在所としてお使いいただいた母屋奥座敷が文部省(現文部科学省)の史蹟に指定される。 平成二十六年(2014年) 杜氏制を廃し、醸造責任者として北原亮庫が就任。
七賢へのアクセス
行き方
● お車ご利用の場合 中央自動車道「小淵沢IC」から約11km/17分 中央自動車道「須玉IC」から約10km/13分 ● 電車ご利用の場合 JR中央本線「長坂駅」下車 タクシーで約10分 JR中央本線「日野春駅」下車 タクシーで約12分 ● JR中央本線韮崎駅よりバスご利用の場合 下教来石(しもきょうらいし)行 乗用約30分 「台ヶ原上(だいがはらかみ)」下車 徒歩5分