妙了寺の基本情報
詳細情報
文化財
日蓮大聖人御真蹟御本尊 日蓮聖人御真蹟御本尊 日蓮宗宗宝曼荼羅三十五本 木像釈迦如来(天正4年桃山時代) 武田信繁文書 徳川家康4奉行の黒印状 江戸初期の鉄眼開版の木版本大蔵経と廻蔵 田安亀之助愛用の玩具 田安家寄進の葵紋ふくさ
歴史
歴史[編集] この節の加筆が望まれています。 中野村の真言宗寺院妙龍寺の住持と立正大師日蓮の弟子の妙了日仏尼が問答し日蓮宗に改宗、その後正応元年(1289年)中道院日了が開山した。昭和24年(1949年)失火により経蔵、宝蔵、総門を残し諸堂を焼失した。現在の本堂は昭和54年(1979年)再建されたもの。 妙了寺に伝わる曼荼羅本尊は鎌倉時代の弘安3年(1280年)に日蓮が身延山から日了の母・日仏に与えられたものとされる。
御由緒
宗祖直弟子妙了日仏尼の開創で、その子日了によって開かれた。 創立は正応元年(1288年)とされる。 日仏尼は宗祖が身延山在山中、約9年間よく給仕供養に努めた。 一子出産の折、難産のところ宗祖の祈祷護符で救われ、無事出産した。 後母子共に出家し、宗祖より妙了日仏の法号を賜り、子は日了を賜った。 当寺は元真言宗に属したが、身延より戻った日仏尼が時の住職と問答して改宗せしめたものである。 尼の没後、その遺言により安産守護の祈祷所となった。 江戸時代中期以降、この地は田安家の所領となり、領主の家に世嗣がなかったため祈願して一児を得たのが幼名亀之助、後に家達と称して徳川家第十六代を継いだ人である。 その功により、三つ葉葵の家紋付きの駕籠と十万石の格式を与えられた。 家達幼時の玩具数点が今も当寺に保存されている。 当寺はかつては昼なお暗き老杉の茂った森の中に十二間☓十二間の本堂と十二間☓八間半の客殿、その他祖師堂、三十番神堂、七面堂、鐘楼、経蔵、題目堂、仁王門、惣門、稲荷社等、堂伽藍三十余棟が林立するほどの巨刹であったが、昭和24年4月、失火により経蔵、宝蔵、惣門、稲荷社を残すのみで、全山灰燼に帰した。 身延山国中触頭三ヶ寺の中心寺院として、末寺27ヵ寺を配下に納めていた。 宮家、徳川家、武田家より寄進された品々も現存している。
引用元情報
「妙了寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A6%99%E4%BA%86%E5%AF%BA&oldid=80977623
概要
妙了寺(みょうりょうじ)は、山梨県南アルプス市上市之瀬にある日蓮宗の寺院。山号は高峰山。旧本山は身延山久遠寺、通師・市之瀬法縁縁頭寺。裏身延と呼ばれ境内の桜は妙了寺の桜として知られる。