大城寺の基本情報
詳細情報
開山・開基
開基 宣方大和尚(関三刹総寧寺住職)※宣峰大和尚と残された文献もある 開山 鳳山宗汲大和尚 (隆円寺六世高祖大師道元禅師より十八世法孫)
御由緒
~HPより~ 【宝亀年間(770~780)】 威光上人、在家塚郷神野原に精舎建立を国司へ出願して一万坪を下賜される。 【天長八年(831)】 同年八月、大洪水にて数十カ村が流出。大城寺周辺の原七郷は被害甚大であり、人民は再度国司に哀訴し、国司藤原貞雄は朝廷にこの旨を奏上した。果たして勅使が弘法大師空海上人と共に甲斐国に下向し、流亡の村々を巡見し、大城寺で休息をした。この時、弘法大師は原七郷の安穏永続のため一刀三拝して毘沙門天像を作り、七種商法免書を胎内に入封して原七郷の守護神とした。 ※免書の件は信玄公によるものとの異説あり。 【文正元年(1466)】 下総国(千葉県)総寧寺住職、宣方大和尚、甲斐国武田氏との縁故により大城寺を再興する。総寧寺末寺となる。曹洞宗。 ※総寧寺は関三刹と呼ばれた関東の名刹であり、江戸時代には十万石の大名扱いを受ける格式を有し、その権勢は本山を凌ぐ程であった。しかし、幕末に祝融となり明治の廃仏毀釈により衰退して廃寺となった。現存する総寧寺は明治以降に再興した寺院であり寺歴は散逸している。 【明治二十六年(1893)】 十六世大安祖道大和尚と檀信徒七十余の手により本道建立。