本乗寺の基本情報
詳細情報
御由緒
当山は、天正九年(一五八一年)、開基本性院日秀上人が、高祖日蓮大聖人御真筆の御形木を 身延より拝受して本堂を建立。場所は現在より壱キロメートル程、東の地点で、西南湖本乘寺屋敷の 地名も現存している。当時の本堂は土台から床まで弐メートル程度の高さの建築構造であったらしい。 当時、釜無川流域は河川氾濫、堤防決壊で常に悩まされた。屋敷は湿地帯の上、釜無川の度重なる 水害で、土台が腐蝕した。 そこで、当山、十三世本乘院日榮聖人が、延宝年間の頃、現在地に移転した。移転時に腐った 土台柱を切り落とし為、現存の本堂の土台は建物の割に低い。今尚痕跡が生々しく名残を留めている。 その後、歴代住職により修理修復が行われる。 特に、二十五世銘中院日養上人が現存の七面堂を再建し、本堂藁葺屋根を修理する。 二十七世誠中院日超上人は、明治六年六月古長・役人立合いのもと、本堂を改修し、小学校として 地域住民の教育の場として解放貸与し南湖小学校の発祥となる。