本遠寺の基本情報
詳細情報
御由緒
~御由緒書より~ 大野山本遠寺は、慶長13年(1608)に日蓮宗総本山身延山久遠寺第22世『心性院日遠聖人』が、当地に草庵を構えて開山されました。 法華経の信心篤き家に生まれ、後に徳川家康公の側室となられたお萬の方は、日遠聖人に師事してより強固な法華経の信者となりました。 お万の方は、家康公の10男「紀州藩祖 頼宣公」、11男「水戸藩祖 頼房公」の生母となり、この紀州家と水戸家に堂塔伽藍の造営を命じ1636年に完成させ、大野山本遠寺と命名されました。 この時建立された堂宇は消失しましたが、紀州公により現伽藍が再建されました(現存するものは、国の重要文化財となる《1650年完成》と《1664年完成》のみ)。 当山は、徳川三代将軍家光公より別格本山の称号が与えられ、宗門では数少ない将軍家お墨付きの寺院となり、三つ葉葵の着紋を許され、寺領260石を拝領いたしました。