常説寺の基本情報
詳細情報
行き方
JR甲府駅南口バスターミナルから昇仙峡行きバス乗車25分 「桜橋」バス停降車徒歩3分
御由緒
岳とは「神仏がおられる神聖な山地」という意味で、金峰山(きんぷさん)信仰は第10代・崇神(すじん)天皇の御代(紀元前97~29年)、病気が蔓延したため、各地に神を祀り悪疫退散と万民息災を祈願し、甲州金峰山山頂(2595m)に医薬、禁厭の守護神・少彦名命を祀り山宮としたことに始まる。 第42代・文武(もんぶ)天皇の御代(697~707年)、役小角(えんのおづ)が奈良吉野の金峰山(きんぷせん)から魔障を除く仏、蔵王権現を祀り、以来神仏混合の修験道場として栄え、南北朝時代(1336~92年)には、奈良吉野に次ぐ全国的な山岳修験信仰の聖地となった。 修験信仰が衰えた江戸時代には、一般の信仰を集め、金峰山里宮の金桜神社年番神主が御岳御師(みたけおし)となって、関東一円に「御岳講」の普及をはかった。 常説寺はもと天台宗の寺院で、弘仁14年(823年)、伝教大師の弟子、栄澄僧正が大師御自作開眼の釈尊立像を奉持し、金峰山参拝道、一の鳥居内に台嶺山圓乗寺を建立したことから始まる。 承久年間(1220年頃)順徳上皇が、越後寺泊から甲州御岳金峰山に奉幣のため、上皇御使用の輿を使わす。勅使は圓乗寺萩堂に輿を留め、半月あまり天下泰平を祈願し、その法施として順徳院号を降ろされ、順徳院山圓乗寺と寺号を改める。 さらに文永年間(1270年頃)、日蓮大聖人甲州巡錫の折、御岳金桜神社へ参拝される。その途次、参道にあたる当山へ御逗留なされ、当山が順徳上皇に御由緒ありと聞くと、承久当時の昔を偲び、法華経の御説法をされる。 時の住僧乗蓮僧都は大聖人の教導を受け、御弟子となり、天台宗を棄てて名を安楽院日乗と改め、寺号も順徳院山常説寺と改める。 以来七百余年、法燈相継ぎ釈尊の正法、妙法蓮華経を常説法教化し今日に至る。
常説寺へのアクセス
行き方
JR甲府駅南口バスターミナルから昇仙峡行きバス乗車25分 「桜橋」バス停降車徒歩3分