信立寺の基本情報
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歴史
歴史[編集] 戦国時代の大永2年(1522年)、甲斐守護武田信虎により甲府の穴山小路に寺領を寄進されて創建される。甲府における身延山久遠寺の他屋として機能しており、『甲斐国社記・寺記』によれば、信虎が八代郡夏目原村(笛吹市、旧東八代郡御坂町)の泉から発見された釈迦立像に病平癒を祈願し、後に快復した信虎が東国において多くの寺院を開創している身延山13世日伝を招いて開祖としたという。釈迦象は寺に安置され、『甲斐国志』によれば、この像は日蓮が開眼したもので信虎期の家臣である遠藤茂氏(掃部助)が所有していたものであるという。また、『甲陽軍鑑』には穴山小路の信立寺や妙音寺に関する記事があり、武田信...Wikipediaで続きを読む
御由緒
当山は大永2(1522)年 甲斐国主、武田信虎により建立されました。 信虎は禅宗でありましたが、病気平癒の霊験により法華経を信奉し、当山を開創するに至りました。 開山は身延山久遠寺法主、第13世 日伝上人をお迎えし、久遠寺と一体の寺院としてその歩みを始めました。その名残として現在でも法主猊下の宿寺として上段の間が設けられております。 武田家滅亡後は徳川家からも同様の庇護を受け、舞鶴城築城にあたり、当初の穴山小路より、現在の若松町へ移転いたしました。 甲府大空襲により全焼、規模は縮小してしまいましたが、病気平癒の秘仏である釈迦如来像は現在も受け継がれております。
引用元情報
「信立寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BF%A1%E7%AB%8B%E5%AF%BA&oldid=66237952
概要
信立寺(しんりゅうじ)は、山梨県甲府市若松町にある寺院。日蓮宗寺院。山号は広教山。本尊は十界曼荼羅。旧本山は、身延山久遠寺。潮師法縁。遠光寺、法華寺とともに甲府法華宗三ヵ寺の一つ。