正慶寺の基本情報
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歴史
歴史[編集] この節の加筆が望まれています。 文永11(1274)年5月12日 宗祖 鎌倉を発ち身延へ向かう。5月17日昼頃相又の地に到る。大石あり休息す。時に大道村の薩花(史の和訓訛って薩花)正左衛門の妻粟飯を頭に捧げ供す。教化の時移り信者となった夫妻に宗祖懐中の大黒天像を賜り波木井の郷へ。 妻(妙了日仏尼)は文永11(1274)年9月8日身延山内最初の下之坊を建てる。草庵に参る女性信者の為に宿泊の本拠となる。遠近女人の助けとなり妙一尼、妙法尼、女房の尼等ここに宿り教化を受けた。 4年後妻は懐妊、大変な難産に苦しむ。夫は驚き身延山に参り御祈祷を願い、護符を戴き急ぎ帰り、ご教喩の通り東方...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「正慶寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AD%A3%E6%85%B6%E5%AF%BA&oldid=81903384
概要
正慶寺(しょうけいじ)は、山梨県南巨摩郡身延町相又にある日蓮宗の寺院。山号は大石山。別名粟飯寺。境内には立正大師日蓮が休息したという大石がある。この石は山号の由来ともなった。旧本山は身延山久遠寺、鏡師法縁(善学会)。