るりこうじ

瑠璃光寺


山口県山口市香山町7-1
資料館 午前9時〜午後5時
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

瑠璃光寺の基本情報



名称
瑠璃光寺
かな
るりこうじ

詳細情報

名称
瑠璃光寺
かな
るりこうじ
都道府県
山口
住所
山口県山口市香山町7-1
アクセス
交通アクセス[編集] JR西日本山口線山口駅より徒歩30分または車で5分 中国自動車道小郡ICより車で20分 山口市コミュニティバス大内ルート・香山公園五重塔前下車
行き方
中国JRバス 山口県庁前停留所 徒歩12分
公開時間
資料館 午前9時〜午後5時
お手洗い
あり
御朱印
あり
御朱印帳
あり
宗旨・宗派
曹洞宗
山号
保寧山
創建時代
文明3年(1471年)
文化財
五重塔(国宝) 萩藩主毛利家墓所(国の史跡)
歴史
目次 1 歴史 1.1 香積寺 1.2 仁保瑠璃光寺 1.3 移転 歴史[編集] 香積寺[編集] 室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したが、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死する。義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始したが、盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死する。五重塔はその後嘉吉2年(1442年)頃に完成した。 仁保瑠璃光寺[編集] 陶氏の7代当主陶弘房の死後、弘房の夫人が夫を弔うために文明3年(1471年)建立した。当初は安養寺と呼ばれ、現在の山口市...Wikipediaで続きを読む
御本尊
薬師瑠璃光如来
御由緒
大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。 それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。 全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。
引用元情報
「瑠璃光寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%91%A0%E7%92%83%E5%85%89%E5%AF%BA&oldid=87785924
概要
瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口市香山町にある曹洞宗の寺院。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。
体験
国宝武将・サムライ

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