寒河江八幡宮の基本情報
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歴史
歴史[編集] 社伝によれば、源頼義・源義家親子が前九年の役の際八幡神に祈って戦勝したので、寛治7年(1093年)に京都男山八幡宮を勧請し八幡原(現・寒河江市若葉町・元町)に創建したと伝える[1]。建久2年(1191年)、寒河江に入った大江親広が改めて鶴岡八幡宮から分霊を勧請し、八幡原の八幡社と合祀して現在地に社殿を創建して大江氏(寒河江氏)の産土神とした。谷地八幡宮・溝延八幡神社とともに「寒河江荘三八幡」と称され、武家の崇敬を受けた。現在の本殿は貞享3年(1686年)に拝殿は安永4年(1775年)に建築された。1940年(昭和15年)に県社に昇格した。 元の社名は「八幡神社」であったが、...Wikipediaで続きを読む
御祭神
誉田別命・比売大神・神功皇后・大山ヅミ命・月夜見命・伊ザナミ命・大己貴命・少彦名命
御由緒
出羽国風土記・古社縁起等に依れば、今の高瀬山(郊外、島地区)近くに血縁・氏族等の大聚落の守護神あり、康平5年(西暦1060年)源頼義・義家奥州平定(前九年の役)の祈願をし、その霊験あらたかに依り寛治7年8月15日(西暦1090年)に八幡宮をお祀りし、神主1人を置き3,000坪を奉納した。 後に、大江広元文治5年11月(西暦1187年)源頼朝より寒河江荘を賜り最上川西一円の地頭となり、建久2年(西暦1191年)産土神鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を勧請し、社人4人と田地1,000石を寄進し併せて現在の地に鎮座せしめられた。 以来400年の間大江城主は、神を敬い民を撫し水利を興し田畑を拓き、祭政一致殖産興業を勧奨し大いに仁政を布き氏子の信仰篤かった。 出羽守最上義光に天正12年(西暦1583年)に亡ぼされたが、義光公も敬神の念篤く文禄年間より黒印を与え、後江戸時代に至り幕府直轄の御朱印となり寒河江本郷17ヶ村と川西総鎮守として歴代尊崇変わる事なく氏子に維持され、神威ますます厳然として現在に至っている。
引用元情報
「寒河江八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AF%92%E6%B2%B3%E6%B1%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=87749069
概要
寒河江八幡宮(さがえはちまんぐう)は、山形県寒河江市にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。寒河江荘の総鎮守で、かつては川西鎮守と称した。 誉田別命(応神天皇、八幡神)を主祭神とし、大山祇神を配祀する。
行事
年中行事[編集] 1月1日:歳旦祭(初詣)古神札お焚き上げ 2月11日:紀元節祭・建国記念日奉祝式典 2月(旧暦初午) 稲荷神社(境内末社)初午祭 4月28日:新山神社祭(境内末社)市内南町新山講 4月29日:講社大祭(春祭り) 5月16日:厳島神社(末社)例祭 6月30日:茅輪神事・夏越大祓 7月1日:水神祭 9月9日:流鏑馬参籠始祭(例大祭迄一週間のオコモリ禊潔斎) 9月14日:前日祭(南部地区渡御・古式流鏑馬奉納) 9月15日:例大祭(本町地区渡御・作試し流鏑馬奉納)東北一の大神輿渡御・神輿の祭典 9月16日:終了報告祭(流鏑馬参籠オトキ) 11月23日:新嘗祭(氏子青年神輿會によ...Wikipediaで続きを読む