注連寺の基本情報
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歴史
歴史[編集] この寺は、833年(天長13年)空海(弘法大師)の開山と伝えられ、湯殿山派4ヶ寺[1]の中で最も新しい。出羽三山神社では出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の開祖を蜂子皇子(能除大師)としているが、注連寺や大日坊では湯殿山の開祖を空海とし、湯殿山と高野山を「空海によって定められ清められた、対となる聖地」としている。 天正9年(1581年)から天正10年(1582年)にかけて最上義光は新庄を中心に大宝寺氏(武藤氏)と争っていた。その最中、前森氏(東禅寺義長・東禅寺勝正)が謀反を起こし[2]、武藤義氏の居城尾浦城(現・山形県鶴岡市大山)を取り囲む。寒河江荘に拠って義光と敵対していた...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「注連寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B3%A8%E9%80%A3%E5%AF%BA&oldid=83815097
概要
注連寺(ちゅうれんじ)は、山形県鶴岡市大網にある真言宗智山派(新義真言宗系)の寺院。戦後、一時的に新義真言宗湯殿山派の大本山として独立していた時期もある。山号は湯殿山。本尊は大日如来。