金剛宝寺(紀三井寺)の基本情報
詳細情報
行き方
京阪神・関西航空方面より JR線:和歌山駅より紀勢本線(きのくに線)乗り継ぎ、普通電車南方面へ 2駅目紀三井寺駅下車徒歩10分 南海電鉄:和歌山市駅より和歌山バス海南方面行き乗車 紀三井寺バス停下車徒歩10分 高野山方面から 高野山-橋本(JR和歌山線乗り換え)-和歌山駅。約2時間20分 新宮・那智・勝浦方面から 新宮-那智-勝浦(JRきのくに線)-海南駅(乗り換え)-紀三井寺駅下車。約4時間
公開時間
拝観:8:00〜17:00 本堂・納経所(祈祷・回向受付は16:00まで) 見学時間:8:30~16:30 仏殿大観音像拝観時間 (写経奉納行・納骨壇見学時間)
参拝料
大人200円、小・中学生・70歳以上100円
御朱印
あり真ん中に救世殿、左下に紀三井山と書かれ、右上に
文化財
楼門,鐘楼,多宝塔,本尊十一面観世音菩薩,秘仏・千手観音菩薩,十一面観世音菩薩,梵天,帝釈天(国指定重要文化財) 本堂(県指定文化財)
御由緒
紀三井寺は、今からおよそ1230年前昔、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(AD770)、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。 為光上人は、伝教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って中国(当時の唐国)より到来されました。 そして諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって、人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められました。行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山山頂あたりに霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得になりました。 上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりとお歓びになり、十一面観世音菩薩像を、自ら一刀三礼のもとに刻み、一宇を建立して安置されました。それが紀三井寺の起こりとされています。 その後、歴代天皇の御幸があり、また後白河法皇が当山を勅願所と定められて以後隆盛を極め、鎌倉時代には止住する僧侶も五百人を越えたと伝えられています。江戸時代に入ると、紀州徳川家歴代藩主が頻繁に来山され、「紀州祈祷大道場」として尊這崇されました。 正式には「紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)」という当時の名称を知る人は少なく、全国に「紀三井寺」の名で知られていますが、この紀三井寺とは、紀州にある、三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれ、今も境内には、清浄水(しょうじょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)、吉祥水(きっしょうすい)の三井より清水がこんこんと湧き出して、年中絶えることがありません。(紀三井寺の三井水は昭和60年3月、環境庁より日本名水百選に選ばれました) 西国三十三所第2番の札所である当寺は、観音信仰の隆盛に伴い、きびすを接する善男善女は数えるにいとまなく、ご宝前には日夜香煙の絶え間がありません。 特に、ご本尊・十一面観世音菩薩様は、厄除・開運・良縁成就・安産・子授けにご霊験あらたかとされ、毎月十八日の観音様ご縁日を中心に、日参、月参りの篤信者でにぎわいます。 春は、早咲きの名所として名高く、境内から景勝・和歌の浦をはじめ淡路島・四国も遠望出来る紀三井寺は観光地としても有名で、古来文人墨客にして杖引く人も多く、詩歌に、俳諧に、絵画にと、多くの筆の跡が遺されています。 紀三井寺は以前、真言宗山階派の寺院でしたが、昭和26年に独立し現在は、山内・県下あわせて十六ヶ寺の末寺を擁する救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)の総本山となっています。
札所
西国三十三所観音霊場第2番札所 和歌の浦急峻三社寺巡り・良縁成就 日本さくら名所百選 日本名水百選
金剛宝寺(紀三井寺)へのアクセス
行き方
京阪神・関西航空方面より JR線:和歌山駅より紀勢本線(きのくに線)乗り継ぎ、普通電車南方面へ 2駅目紀三井寺駅下車徒歩10分 南海電鉄:和歌山市駅より和歌山バス海南方面行き乗車 紀三井寺バス停下車徒歩10分 高野山方面から 高野山-橋本(JR和歌山線乗り換え)-和歌山駅。約2時間20分 新宮・那智・勝浦方面から 新宮-那智-勝浦(JRきのくに線)-海南駅(乗り換え)-紀三井寺駅下車。約4時間