姫神社の基本情報
詳細情報
御由緒
姫神社の由緒等についての記録は、『紀伊續風土記』巻之二十三に次のように記載されているのが唯一のものと思われる。 「衣乃伎波良 田畑高 五百六十五石五斗一升一合 家數 五十二軒 人數 二百七十一人 木本村の巽にあり村領に榎原田といふ名あり 村名此より出つ寛永中木本の分村なり 此村土地甚卑く歳々水の患に罹るといふ 辨財天社 村の艮にあり木本八幡宮攝社なり」 紀伊國海部郡木本莊の字木本の南東方向にある小字で、縄文時代には紀ノ川の河口に在った天然の良港であったと推定される地で、天平19年(747年)の奈良大安寺資材帳に木本郷に170町歩の墾田を所有していたことが見えるので、この辺の低湿地を奈良時代までに開墾していたことが分る。 榎原を含む広義の木本全体の氏神であった木本八幡宮の境外攝社であった。 明治時代の神社合祀令で、政府や県の方針に従えば、木本八幡宮の境内に移されるはずのところ、榎原地区民の敬愛の念が深かったため、榎原に姫神社が保存されたものと思われる。