金剛三昧院の基本情報
詳細情報
アクセス
アクセス[編集] .mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-...Wikipediaで続きを読む
行き方
南海電鉄高野山ケーブル「高野山」駅下車、駅前バス乗り場からバス乗車、千手院橋(西)停留所下車、徒歩6分。
参拝料
大人300円、小学生以下無料(特別拝観は500円)
御朱印
あり真ん中に梵字と愛染明王、右下に高野山、左下に金
文化財
多宝塔(国宝) 経蔵、本坊大広間庫裡、四所明神社、天満大自在天神社(国指定重要文化財) 大石楠花(天然記念物)
歴史
歴史[編集] 建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建された。開山供養には栄西も招かれ、開山第一世となった。 承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰された。 貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うために大日堂・観音堂・東西二基の多宝塔・護摩堂二宇・経蔵・僧堂などを建立した。鎌倉幕府と高野山を結ぶ寺院であったため、高野山の中心的寺院の役割を担った。 嘉禎4年(1238年)、足利義氏が北条政子の十三回...Wikipediaで続きを読む
御由緒
源頼朝の妻政子は頼朝亡き後、入堂して二位禅定如実となり、先に建てた禅定院を金剛三昧院に改称し、行勇禅師を住持とした。筑前粥田庄などの荘園を寄進してここに学問をおこした。境内に勧学院を建て秋田城介泰盛などの尽力によって高野板の密教経流を刊行して密教学を興した。境内には国宝多宝塔、重文経蔵、四社明神、客殿等の指定建造物がある。
引用元情報
「金剛三昧院」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%87%91%E5%89%9B%E4%B8%89%E6%98%A7%E9%99%A2&oldid=88266049
概要
金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の別格本山の寺院。宿坊。本尊は愛染明王。仏塔古寺十八尊第11番霊場。西国愛染十七霊場第17番霊場。 ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素。
札所
仏塔古寺十八尊第11番札所 西国愛染十七霊場第17番札所
体験
坐禅(座禅)写経・写仏祈祷世界遺産食事・カフェ御朱印宿坊国宝重要文化財武将・サムライ花の名所有名人のお墓札所・七福神巡り法話
金剛三昧院へのアクセス
アクセス
アクセス[編集] .mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-...Wikipediaで続きを読む
行き方
南海電鉄高野山ケーブル「高野山」駅下車、駅前バス乗り場からバス乗車、千手院橋(西)停留所下車、徒歩6分。