気多神社の基本情報
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御朱印
あり真ん中に気多神社と書かれ、右上に越中国一宮の印
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 社伝によれば、当神社が勧請されたのは養老元年(717年)としているが、『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』[1]では、これに対する傍証は無く、草創については諸説あると述べ、以下の説を紹介している。 能登国は養老2年(718年)に越前国より分立し、天平13年(741年)に越中国へ合併された後、天平宝字元年(757年)に再び分立しているが、林喜太郎 『伏木一宮気多神社』[2] によれば、天平13年(741年)から天平宝字元年(757年)までの17年間は、社格からみて羽咋郡の気多大社が全越中の一宮だったはずであり、従って国府の所在地であった当所に分霊されたのは...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「気多神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%97%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=89384832
概要
気多神社(けたじんじゃ)は、富山県高岡市伏木一宮にある神社。式内社(名神大社または小社)、越中国一宮。旧社格は県社。 所在地の高岡市伏木は、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地で、当神社境内にも越中国総社跡の伝承地がある。越中国内で一宮を称する4社のうちで唯一、所在地名に「一宮」と言う銘号が入っている。