ささふくじんじゃ

樂樂福神社


鳥取県日野郡日南町宮内1065
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

樂樂福神社の基本情報



名称
樂樂福神社
かな
ささふくじんじゃ

詳細情報

名称
樂樂福神社
かな
ささふくじんじゃ
都道府県
鳥取
住所
鳥取県日野郡日南町宮内1065
行き方
生山駅前より町営バス新屋行に乗車 東県社前下車
御朱印
あり
御祭神
《主》大日本根子彦太瓊尊,《配》大吉備都彦命,細比売命,彦狭島命,倉稲魂命,大山祇命
御由緒
当社は大日本根子彦太瓊尊(第七代孝霊天皇)を主神とし、皇后、后妃、皇子及び其のご一族を奉斎する。 天皇はご幼少の御時「樂樂清有彦命(ささきよありひこのみこと)」と称し、また「笹福(ささふく)」と号された。古くは砂鉄生産の守護神として厚く崇敬され日野郡開拓鎮護の総氏神として日野大社笹福大明神と尊称された。ご祭神の原初的な祭祀は古代まで遡ると考えられるが神社としてのご創建は仁和2年(886)との口伝がある。孝霊天皇が当地に巡幸された折に鬼林山(きりんざん)に蟠踞(ばんきょ)する「牛鬼(ぎゅうき)」の名で恐れられる一団が里人を悩ます由を聞し召され、皇子神達や随従の神々を率いて彼の凶賊を悉く退治された。現今、境内近くにある鬼塚はその首魁を埋めた場所と伝わっている。一方、細媛命はご巡行中の天皇の御跡を慕ってお尋ねになる途中、お産のお悩みがあり日野川のとある石の上にお憩いになる。時節は五月のなかばにして雨が多く降り里人は畏みて菅の蓑と笠とを奉った。また増水した川の水音が高く聞こえた為、皇后が「水音喧(みずおとかま)」と仰せになると水の音が忽ち止んだと伝わっている。よって日野川のこの流域(日野町上菅)は「音無川(おとなしがわ)」と呼ばれるようになった。そして其の地をお立ちになる時「むら雨の露のなさけの名残りをば此処にぬぎ置く菅の蓑笠」と御歌を詠まれた。そして更に川上に上られて天皇とお逢いになり、宮内の里は良い宮処なりと御所を定めて多くの年月を過ごされたと伝わっている。即ち当社はご祭神の偉大なる御治績を追慕尊崇して鎮斎された古社でその宮処こそ「内裏」と尊称された現在の社地である。爾来、人々の崇敬は変わる事無く開運招福・願望成就の福神として遠近よりの参拝者が今日も絶えることは無い。明治元年「樂樂福社」と改め同5年縣社に列格され同7年「樂樂福神社」と改称、同40年神饌幣帛料供進神社に指定された。また大正8年には近隣鎮座の村社六社・無格社一社を合祀した。昭和15年には皇紀2600年記念として本殿を新たに造営し同年11月に正遷宮祭を斎行した。戦後は神社本庁の包括神社となり例祭(春季大祭・5月1日)には本庁より献幣使が参向して幣帛料を奉る。
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り七五三御朱印お守り

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