多摩川浅間神社の基本情報
詳細情報
アクセス
アクセス[編集] 東急電鉄東横線・目黒線・多摩川線多摩川駅徒歩2分[1] ^ 東京都神社庁.
公開時間
授与所/10:00~16:00 参拝/24時間
本殿
浅間造。浅間造は多摩川浅間神社の他に、富士山本宮浅間大社の本殿(静岡)、静岡浅間神社の拝殿(静岡)、芝生浅間神社の本殿(神奈川)の計4社のみ。
歴史
歴史[編集] 創建は鎌倉時代の文治年間(1185年~1190年)と伝えられる[1]。 源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。[1] その後、1652年(承応元年)...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《合》伊佐那岐命,伊佐那美命,速玉乃男命,事解乃男命,菊理姫命,《主》木花咲耶姫命
御由緒
当浅間神社は、今から八百年前の創建と伝えられます。鎌倉時代の文治年間(1185~90)、右大将源頼朝は、豊島郡滝野川松崎に出陣しました。 夫の身を案じた妻政子は、後を追ってここまで来ましたが、わらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川畔で傷の治療をすることになりました。 逗留のつれずれに亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見えました。富士吉田には、自分の守り本尊である「浅間神社」があります。 政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。 村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。 承応元(1652)年5月、浅間神社表坂の土どめ工事をしていたとき、九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘されました。多摩川で泥を洗い落としてみると、片足がありません。そこで足を鋳造してお祀りし、6月1日に神事を行いました。以来、ご祭礼は6月に行っております。
引用元情報
「多摩川浅間神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B7%9D%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=88958050
概要
多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)は東京都大田区田園調布にある神社。旧・下沼部村(田園調布の南半分)の鎮守。登記上の宗教法人名称は浅間神社(せんげんじんじゃ)。
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭りアニメなどサブカル武将・サムライ
多摩川浅間神社へのアクセス
アクセス
アクセス[編集] 東急電鉄東横線・目黒線・多摩川線多摩川駅徒歩2分[1] ^ 東京都神社庁.