江島杉山神社の基本情報
詳細情報
行き方
・JR「両国駅」西口より徒歩7分 ・都営大江戸線「両国駅」A4出口より徒歩12分 ・都営新宿線「森下駅」A5出口より徒歩12分 ・区内循環バス すみだ百景すみまるくん・すみりんちゃん「江島杉山神社入口」下車 徒歩3分
御由緒
当社は神奈川県藤沢市江島神社の弁財天を奉斎し、またその弁財天を深く信仰した杉山和一を併せ祀る。 杉山和一(慶長十五年<1610>年~元禄七年<1694>年)は三重県津市の武家の生まれで幼い頃失明し、身を立てるために鍼術を志す。 江戸の山瀬琢一に入門し修行に励む中、江島弁財天の岩屋にて七日七夜の参籠をした。 業が明けた日外に出ると大きな石に躓いてしまうが何か手に刺さる物があり探ってみると、筒の様にくるまった枯葉(スダジイ)の中に一本の松葉が入っていた。 「いくら細い鍼でも管に入れて使えば盲人の私にも容易く打つ事が出来る」 こうして、現在鍼治療の主流である管鍼術が生まれた。躓いた石は「福石」として、本社江島神社の境内に祀られている。この後より深く鍼治を学ぶため京都の入江豊明の元へ入門する。そして江戸で治療所を開くと、その噂は瞬く間に広がった。同時に多くの弟子を輩出し、世界初の盲人教育の場、職業の確立を進めた。寛文十(1670)年一月、和一は61歳にして検校の位を受けた。その名声により五代将軍徳川綱吉の医師として務めるようになる。 元禄五(1692)年五月九日将軍より総検校に任ぜられる。和一が八三歳の時、綱吉公の難病を治療した功により「何か望みのものはないか」との問いに「唯一つ、目が欲しゅうございます」と答え、ここ本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜り更に和一が高齢になっても月参りを欠かさなかった江ノ島弁財天が敷地内に勧請されてた。翌年には壮麗な社殿が建立、本所一ツ目弁天社と呼ばれ江戸名所となり、多くの信仰を集めた。元禄七(1694)年五月十八日八四歳没。明治四年、当道座組織が廃止され総録屋敷も没収されるが、当社は綱吉公が古跡並の扱いとしたため残され、社名も江島神社となる。 明治23年四月杉山和一霊牌所即明庵も再興し、境内に杉山神社を創祀、震災、戦災により二つの社殿とも焼失するが戦後昭和27年合祀し、島江島杉山神社となる。
江島杉山神社へのアクセス
行き方
・JR「両国駅」西口より徒歩7分 ・都営大江戸線「両国駅」A4出口より徒歩12分 ・都営新宿線「森下駅」A5出口より徒歩12分 ・区内循環バス すみだ百景すみまるくん・すみりんちゃん「江島杉山神社入口」下車 徒歩3分