箭弓稲荷神社の基本情報
詳細情報
御由緒
(箭弓稲荷神社御縁起 の立て札より) 鎮座の年月、由緒は不詳ですが住古より石川主殿頭成之の屋敷内に鎮座して徳川家光公より銀杏の木を拝領し後「銀杏稲荷」と云われていました。 明治の初期廃藩置県により此の地は民家に移り神社は放置されましたがその後故松山治郎吉氏が武州松山箭弓稲荷神社より御分社を受けお祀りするに至りました。 大正十二年九月関東大震災により神社御神木(幹周り九尺五寸高さ十四間)は類焼しましたのでその一部を以って御神木を彫刻し残りの木を資材として現社殿を御造営致しました。 昭和五十四年五月再建五十周年を記念して修復され現在に至っております。 当神社は特に火伏と商売繁盛の神として古来より有名です