随徳寺の基本情報
詳細情報
アクセス
交通アクセス[編集] 入谷駅より徒歩3分。
歴史
歴史[編集] 1637年(寛永14年)に開山された。元々は湯島に位置していたが、1657年(明暦3年)の明暦の大火で焼け出された。幕府より、代替地として麻布広尾(現・港区南麻布周辺)の地を提示されたが、遠隔地であったことから、幕府に再度頼み込んだ結果、現在地を提示され、移転した[1]。 墓地には、江戸時代のテクニカル分析「酒田五法」を編み出した相場師の本間宗久の墓がある[2]。 ^ 東京市下谷区 編『下谷区史』東京市下谷区、1935年、1054p ^ 河合敦 著『豪商列伝 なぜ彼らは一代で成り上がれたのか』PHP研究所、2014年、216p
御由緒
僧永順が開基となり、寛永14年(1637)湯島に創建。元禄12年(1699)或いは万治3年(1660)に当地へ移転したといいます。
引用元情報
「随徳寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%9A%8F%E5%BE%B3%E5%AF%BA&oldid=88210512
概要
随徳寺(ずいとくじ) 寺の名称の一つ。 「ずいっと出ていく」を寺の名称のように洒落た地口の一種。「とんずらする」の意。「一目散」を山号化した「一目山随徳寺」ともいう。山号寺号を参照。 東京都台東区に実在する寺の名称。本項にて解説。随徳寺(ずいとくじ)は、東京都台東区にある真宗大谷派の寺院。