あなはちまんぐう

穴八幡宮


東京都新宿区西早稲田2-1-11
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

穴八幡宮の基本情報



名称
穴八幡宮
かな
あなはちまんぐう

詳細情報

名称
穴八幡宮
かな
あなはちまんぐう
都道府県
東京
住所
東京都新宿区西早稲田2-1-11
アクセス
交通[編集] 東京メトロ東西線早稲田駅から徒歩3分。駅の案内(2番出口)に「穴八幡方面出口」とある。 都営バス学02・早77・早81の各系統で馬場下町停留所下車。
行き方
東京メトロ東西線早稲田駅徒歩2分 都電荒川線早稲田駅徒歩10分 東京メトロ副都心線西早稲田駅徒歩12分
御朱印
あり
御朱印帳
あり
創建時代
康平五年(1062)
歴史
歴史[編集] 流鏑馬像 流鏑馬奉納(戸山公園 2010.10.11) 流鏑馬奉納(戸山公園 2010.10.11) 社伝によれば、1062年(康平5年)、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。 1636年(寛永13年)、ここに的場が造られ[1]、この八幡宮を守護神とした。 1641年(寛永18年)、宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた[2]。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《合》天照大神,天児屋根命,木花開耶姫命,菅原道真,市杵島姫命,《主》応神天皇,仲哀天皇,神功皇后,《配》仁徳天皇,徳川家康,宇迦御魂命,大汝牟智神,福神
御由緒
康平五年(1062)奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊命の先蹤にならってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧進し、永く東北鎮護の社として祀られました。 寛永十八年(1641)社守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時期から穴八幡宮と唱えられるようになりました。同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、三代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。 慶安元年(1648)社殿再興の折りに幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安二年(1649)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われましたが、特に元禄十六年(1703)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。 安政元年(1854)青山火事のために類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧事の盛観に復しましたが、今次大戦により社殿はことごとく罹災しました。しかし戦後はいち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志等により平成元年から慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成十年の随神門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内地の整備に着手し今日に至っています。
引用元情報
「穴八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A9%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=87790770
概要
穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、東京都新宿区西早稲田二丁目の市街地に鎮座している神社。蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされている。旧称は高田八幡宮。
体験
お守り祭り武将・サムライ

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