芝東照宮の基本情報
詳細情報
行き方
都営地下鉄三田線「芝公園駅」A4出口すぐ 都営地下鉄三田線「御成門駅」A1出口より徒歩2分 都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門駅」A6出口より徒歩5分 都営地下鉄大江戸線「赤羽橋駅」赤羽橋口より徒歩7分 JR山手線・モノレール「浜松町駅」より徒歩12分
御由緒
当宮は、当初、増上寺境内に勧請された。増上寺は天正十八年(1590)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが慶長三年(1598)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。 この増上寺境内の家康公を祀る廟は、安国殿と称された。これは家康公の法号「一品大相国安国院殿徳連社崇誉道和大居士」によるものである。安国殿のご神体は慶長六年(1601)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀を行っていた。死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像は増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺にに祭るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(どいおおいのすけとしかつ)(のちの大老)の手により駿府から譲り贈られたのである。 安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治六年(1873)には郷社に列し、社殿は寛永十八年(1633)の造替当時のものが維持されていたが、昭和二十年五月二十五日の戦火により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。昭和三十八年(1963)には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和四十四年(1969)八月十七日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っている。
芝東照宮へのアクセス
行き方
都営地下鉄三田線「芝公園駅」A4出口すぐ 都営地下鉄三田線「御成門駅」A1出口より徒歩2分 都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門駅」A6出口より徒歩5分 都営地下鉄大江戸線「赤羽橋駅」赤羽橋口より徒歩7分 JR山手線・モノレール「浜松町駅」より徒歩12分