ひびやじんじゃ

日比谷神社


東京都港区東新橋2-1-1
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

日比谷神社の基本情報



名称
日比谷神社
かな
ひびやじんじゃ

詳細情報

名称
日比谷神社
かな
ひびやじんじゃ
都道府県
東京
住所
東京都港区東新橋2-1-1
行き方
ゆりかもめ線・都営大江戸線 汐留駅 徒歩3分 JR山手線・東海道線・京浜東北線・東京メトロ銀座線・都営浅草線 新橋駅 徒歩5分
御朱印
あり
歴史
歴史[編集] 創建年代は不詳である。元は現在の日比谷公園内の大塚山に鎮座していた。慶長年間、江戸城の拡張に当たり、氏子とともに芝口(現在の東新橋)に移され、明治時代、鉄道(東海道線)の敷設に当たり新橋4丁目に遷座した。その境内地全域が計画道路の予定地にかかっていたことから、2009年(平成21年)7月31日に東新橋2丁目の国道15号(第一京浜)沿いに遷座した。
御祭神
豊受大神 (とようけのおおかみ),祓戸四柱大神 (はらいどのよつばしらのおおかみ)
御由緒
当日比谷神社は、古くから旧麹町区日比谷公園の大塚山という所に鎮座し、日比谷稲荷明神旅(さ)泊(ば)稲荷明神と称しておりました。慶長11(1606)年、江戸城築城に際し日比谷御門を造営することとなり、氏子と共に芝口に移動となりますが、町名は従来のまま、日比谷となっておりました。 しかし、寛永7(1630)年、新橋に新しく芝口御門を造営することになり、町名も日比谷町から芝口町へと改称することになりましたが、神社の社号は変えることなく現在に到ります。 芝口の地に御鎮座して四百有余年となる古社であります。 御霊験著しいことから崇敬者も多く、江戸幕府の時代には毎年1月6日に神札を捧持して登城する慣例があったといわれ、それ以外にも伊達、脇坂、中川、肥後、本堂、毛利、井上、片岡家の諸公から篤い崇敬を集めていたといわれます。 明治5(1872)年に村社に列せられ、その後、関東大震災(大正12年)の影響で昭和三年の都市計画区割整理の対象となり、愛宕下町二丁目に換地されて、現在の新橋四丁目に日比谷神社の御社殿が造営されました。 以降、新橋の鎮守様として広く崇敬を集め幾多の災厄に遭うも、その都度氏子崇敬者の方々の御厚意をもって再建して参りました。 平成21年に、都市道路計画(環状2号線)の建設により、御社殿を東新橋二丁目に建造されました。現在では新橋四丁目町会・新橋五丁目町会・汐留町会・新橋二丁目町会・新橋駅前ビル自治会・東新橋一丁目町会及び汐留シオサイト地区の氏神様として変わらぬ崇敬を集めております。
引用元情報
「日比谷神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%97%A5%E6%AF%94%E8%B0%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=80301247
概要
日比谷神社(ひびやじんじゃ)は、東京都港区東新橋にある神社である。 豊受大神(稲荷神)・祓戸四柱大神(瀬織津比売大神・速開都比売大神・気吹戸主大神・速佐須良比売大神)を祀る。旧称 日比谷稲荷明神。氏子地域には汐留も含まれる。

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