恵比寿山下伏見稲荷大明神の基本情報
詳細情報
御由緒
(恵比寿山下伏見稲荷講 「恵比寿山下伏見稲荷大明神」縁起 の立て札より) そもそも、この山下伏見稲荷大明神は、明治二十年当時まだ田畑山林の広がっていたこの地に、五穀豊穣の守護神として村民の信仰の拠りどころとなっておりました。 その後星移り物変わり、いつとはなしに田畑山林は商店街へと変わり、その間、数度にわたる近火にも類焼を蒙ることなく、商売繁盛の大明神として、その縁日にはゆかりの商人の出店も数百に及び、繁昌を極めたものであります。 そして昭和二十年五月二十四日には東京空襲で戦火に遇いましたが、信仰心の厚い氏子多数、特に故長島國治氏の御厚志により、同二十一年七月この地に再建造営されました。 その後三十年を経て、その間の熱心な信者のお守りにも拘らず、社殿の腐食甚だしく昭和五十一年三月、多くの信者の方々のご奉納により新たに改築が行なわれました。 更に四十数年の時が流れ、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災の影響により社殿礎石に亀裂が目立ち、新たに社殿を建替えることとなったものであります。故長島國治氏の子孫の故子之吉氏と裕司氏の御厚志により引続きこの地を提供していただき、稲荷大明神を信仰されている多くの方々や近隣企業の皆様方のご奉賛により社殿の造営がなされ、境内や参道も整えられました。 そして、稲荷名称も地名に沿って山下伏見稲荷から恵比寿山下伏見稲荷へと改められ、平成二十九年四月の完成を見たものであります。