林泉寺の基本情報
詳細情報
御由緒
現在の名称は、郭然山寿松院林泉寺。もとは永禄年間の中頃、大名、杉原伯嗜守(すぎわらほうきのかみ)が杉原家の菩提寺として、京都の伏見に悟真山常照院林泉寺を建立しました。杉原家とは、豊臣秀吉の妻、北政所の実家筋にあたります。杉原家の「二代・重長(悟真院)、三代・重玄(光現院)」ほか、三基ほど現在も墓碑があります。杉原伯嗜守は徳川家康公の家臣でしたので、家康公の江戸入国に従って神田周辺へ移転、その後に八丁堀に移転しました。また、寛永12年(1635年)江戸の「都市計画」の一環で47ヵ寺が現在の地に移転しました。 当時の地図を見ると、深川や八丁堀には民家が多く、三田はお寺が密集しています。当寺院は江戸の文久6年(1823年)1月12日の「古川の大火」で焼失したあと、文久11年(1828年)に再建された本殿が第二次大戦の戦火をまぬがれ、2005年の新築まで約180年間残りました。
札所
法然上人二十五箇所 第五番札所 西方三十三所観音 第十八番札所