雲辺寺の基本情報
詳細情報
行き方
65【三角寺】より (自家用車)約30分 約23km (徒歩)約7時間 約20.5km 67【大興寺】より (自家用車)約50分 約13km (徒歩)約3時間30分 約13.5km
文化財
木造千手観音坐像、木造不動明王・毘沙門天立像、絹本著色聖衆来迎図(重要文化財) 阿波遍路道 雲辺寺道(史跡)
御由緒
四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。 霊場は、俗に「四国坊」と呼ばれ、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と称されて栄えた。貞観年間(859〜77)には清和天皇(在位858〜76)の勅願寺にもなっている。鎌倉時代は七堂伽藍も整備されて、境内には12坊と末寺8ヶ寺を有した古刹として阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。 天正年間(1573〜92)に土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣して雲辺寺に参拝し、裏山から眼下を望み四国制覇を目指したが、当時の住職に諫められた。雲辺寺の歴史にも消長はあるが、江戸時代になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけた。千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っている。
札所
四国八十八箇所66番 阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場(毘沙門天)
雲辺寺へのアクセス
行き方
65【三角寺】より (自家用車)約30分 約23km (徒歩)約7時間 約20.5km 67【大興寺】より (自家用車)約50分 約13km (徒歩)約3時間30分 約13.5km