大日寺の基本情報
詳細情報
行き方
徳島バス 神山線(名東経由・延命経由)・天の原西線・一宮線 「一の宮札所前」下車(0.1km) 12【焼山寺】より (自家用車)約1時間 約30km (徒歩)約6時間 約21.5km 14【常楽寺】より (自家用車)約10分 約3km (徒歩)約40分 約2.5km
御由緒
徳島市には5ヶ所の霊場がある。そのいちばん西部で鮎喰川を渡った平地にあり、車の往来が激しい県道の反対側が、かつて阿波の総鎮守であった一の宮神社となっている。開基は弘法大師とされ、縁起によると「大師が森」というこの地で護摩修法をされていたさいに、空中から大日如来が紫雲とともに舞いおり、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げられた。大師は、さっそく大日如来像を彫造して本尊とし、堂宇を建立し安置したと伝えられている。寺名の由来もこの縁起による。境内は老樹に覆われ、密教寺院の雰囲気を漂わせているが、戦国時代には「天正の兵火」により堂塔はすべてが罹災している。その後、江戸時代の前期に阿波3代目藩主、蜂須賀光隆公により本堂が再建され、諸国に国の総鎮守・一の宮が建立されたときには、その別当寺として同じ境内にあり、管理に当たっていた。 ただ、一の宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観音像とされており、同じ境内であったため、江戸時代には一の宮神社が札所であり、納経所として参拝されていたようである。このことは真念著『四國邊路道指南』(貞享四年・1687)にも記されている。その後、明治の神仏分離令により神社は独立し、一宮寺は大日寺ともとの寺名に変えたが、もともとこの寺にあった大日如来像は脇仏となり、十一面観音像が本尊として祀られている。 日本人の心には仏と神が融和している。遍路は大師の御心を慕い歩みつづけている。
札所
四国八十八箇所第13番 四国三十三観音霊場第5番
大日寺へのアクセス
行き方
徳島バス 神山線(名東経由・延命経由)・天の原西線・一宮線 「一の宮札所前」下車(0.1km) 12【焼山寺】より (自家用車)約1時間 約30km (徒歩)約6時間 約21.5km 14【常楽寺】より (自家用車)約10分 約3km (徒歩)約40分 約2.5km