国分寺の基本情報
詳細情報
行き方
徳島バス 神山線(延命経由)・天の原西線 「国分寺前」下車 (0.4km) 14【常楽寺】より (自家用車)約5分 約1km (徒歩)約10分 約1km 16【観音寺】より (自家用車)約10分 約2km (徒歩)約25分 約1.7km
文化財
阿波国分寺庭園(国指定の名勝) 阿波国分寺跡(県指定の史跡)
御由緒
四国霊場には四県に国分寺があり、その最初の札所が「阿波國分寺」である。仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位724〜49)は、天平13年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、地方文化の向上などを祈って、勅命により全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建した。奈良・東大寺はその総国分寺ともいわれる。縁起によると、阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と『大般若経』が納められ、本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀されたと伝えられている。開基は行基菩薩で、自ら薬師如来を彫造し本尊としている。創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗であり、寺領は二町四方で、ここに金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。この寺域からは塔の礎石などが発掘されており、徳島県の史跡に指定されている。 弘法大師が弘仁年間(810〜24)に四国霊場の開創のため巡教された際に、宗派を真言宗に改めている。その後、「天正の兵火」によって灰燼に帰しており、境内は相当に衰微していた様子が寂本著『四國禮霊場記』(元禄2年=1689)からも知ることができる。寛保元年(1741)に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって伽藍が再建されていらい、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっている。境内の遺跡から往時の栄華がしのばれる。
国分寺へのアクセス
行き方
徳島バス 神山線(延命経由)・天の原西線 「国分寺前」下車 (0.4km) 14【常楽寺】より (自家用車)約5分 約1km (徒歩)約10分 約1km 16【観音寺】より (自家用車)約10分 約2km (徒歩)約25分 約1.7km