常楽寺の基本情報
詳細情報
行き方
徳島バス 神山線(延命経由)・天の原西線「常楽寺前」下車(0.3km) 13【大日寺】より (自家用車)約10分 約3km (徒歩)約40分 約2.5km 15【国分寺】より (自家用車)約5分 約1km (徒歩)約10分 約1km
文化財
本堂、大師堂(国の登録有形文化財) 絹本着色 降三世明王像、絹本着色 薬師三尊十二神将像(市指定文化財)
御由緒
四国霊場のなかで唯一、弥勒菩薩を本尊としている。弥勒菩薩は56億7千万年の後まで、衆生の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏である。とくに京都・広隆寺の国宝で、片膝を立てて頬を右手でささえ考える半跏思惟の弥勒像は、そのやさしいお顔の表情が美しく、お大師さまとともに光明を授けてくれるような仏といえよう。縁起では、弘法大師が42歳の厄年のころ、この地で真言の秘法を修行していたときに、多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが来迎されたという。大師はすぐに感得し、そばの霊木にその尊像を彫造し、堂宇を建立して本尊にした。この本尊について大師は、御遺告の一節に「吾れ閉眼の後、兜率天に往生し弥勒慈尊の御前に侍すべし。56億余の後、必ず慈尊と御共に下生し、吾が先跡を問うべし…」と触れられていることからも、常楽寺への篤い思いが偲ばれる。 後に、大師の甥・真然僧正が金堂を建て、また高野山の再興で知られる祈親上人によって講堂や三重塔、仁王門などが建立されて、七堂伽藍がそびえる大寺院となった。室町時代には阿波守護大名の祈願所にもなっているが、「天正の兵火」により焼失し灰燼に帰している。だが、江戸時代初期には復興、後期の文化15年(1818)に低地の谷地から石段を約50段のぼった現在地の「流水岩の庭」近くに移っている。奇形な岩盤の断層が重なる「流水岩の庭」。自然の美しさにとけ込む魅力を醸し出す。
常楽寺へのアクセス
行き方
徳島バス 神山線(延命経由)・天の原西線「常楽寺前」下車(0.3km) 13【大日寺】より (自家用車)約10分 約3km (徒歩)約40分 約2.5km 15【国分寺】より (自家用車)約5分 約1km (徒歩)約10分 約1km