こんせんじ

金泉寺


徳島県板野郡板野町大寺亀山下66
納経/7:00~17:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

金泉寺の基本情報



名称
金泉寺
かな
こんせんじ

詳細情報

名称
金泉寺
かな
こんせんじ
都道府県
徳島
住所
徳島県板野郡板野町大寺亀山下66
行き方
高徳線 板野駅下車 (0.7km) 徳島バス 鍛冶屋原線「板野駅南」下車 (0.7km) 2【極楽寺】より (自家用車)約10分 約3km (徒歩)約40分 約2.5km 4【大日寺】より (自家用車)約15分 約7km (徒歩)約1時間30分 約5km
公開時間
納経/7:00~17:00
参拝料
なし
お手洗い
駐車場にあり
御朱印
あり真ん中に梵字と釈尊、左下に金泉寺と書かれ、右上
御朱印帳
なし
宗旨・宗派
高野山真言宗
山号
亀光山(きこうざん)
院号
釈迦院(しゃかいん)
開山・開基
行基菩薩
創建時代
天平年間(729〜749)
文化財
【板野町指定史跡】「金泉寺」
御本尊
釈迦如来
御由緒
聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、「金光明寺」と命名されたと伝えられる。そのころの本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したという。弘仁年間(810〜24)になって弘法大師が四国を巡教された際、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘られた。この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名の「金光明寺」を改め、「金泉寺」とした。その後、亀山天皇(在位1259〜74)が法皇になられ、弘法大師を篤く信仰されて各地の霊跡を巡拝、金泉寺にもしばらく滞在された。 その間に、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣ならった堂舎を建立し、1,000の千手観音像を祀られ、背後の山を「亀山」と命名し、山号も「亀光山」と改めた。この堂舎には経蔵がおかれ、学僧たちで賑わったという。以来、皇室との縁が深く、長慶天皇(在位1368〜83)の御陵も本堂裏にある。また、源平合戦(元暦2年=1185)のおり、源義経が屋島に向かう途中に金泉寺に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしたと『源平盛衰記』に伝えられている。本堂の左手にある慈母観音子安大師は、義経の祈願所ではあるが、境内西隣にある「弁慶石」もその一つで、義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられている。すこやかに育てと願う親心の観音菩薩。いまも人生の開運を願う参詣者が多く訪れる。
札所
四国八十八箇所 第3番 阿波北嶺薬師霊場 第9番
体験
御朱印武将・サムライ札所・七福神巡り

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