地蔵寺の基本情報
詳細情報
行き方
徳島バス鍛冶屋原線・石井上板線「羅漢」下車 (0.3km) 4【大日寺】より (自家用車)約10分 約2km (徒歩)約25分 約2km 6【安楽寺】より (自家用車)約15分 約5km (徒歩)約1時間15分 約5.3km
御朱印
あり真ん中に梵字と地蔵尊、左下に地蔵寺と書かれ、右
文化財
阿波遍路道 地蔵寺境内(国の史跡) 本堂、不動堂、大師堂、経蔵、五百羅漢堂(奥の院)(国の登録有形文化財) 「地蔵寺」(板野町指定史跡)
御由緒
嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、弘仁12年弘法大師が開創された。大師は、自ら約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ、本尊に安置したと伝えられる。その後、淳和天皇(在位823〜33)、仁明天皇(在位833〜50)の3代にわたり天皇家が篤く帰き依えされた。さらに紀州・熊野権現の導師を務めていた浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられている。この勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしている。これらの寄進により寺領は拡大し、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国におよそ300を数える末寺ができ、塔頭も26寺にのぼったと伝えられる。 しかし、天正年間(1573〜92)の長宗我部元親による兵火で、これらの堂塔はことごとく灰燼に帰した。その後、歴代の住職や僧侶、信者たちの尽力により堂宇が整備拡充され、いまでも寺領は40,000平方メートル(12,000坪)にもおよぶ古刹である。本堂左の参道をとおり、石段をのぼったところが奥の院で、ここが羅漢堂である。安永4年(1775)の創建で、五百羅漢堂とされていた。だが、大正4年参拝者の失火で罹災、いまは200ほどの等身大羅漢像がさまざまな喜怒哀楽の表情で並んでいる。境内の大銀杏。樹齢は800年を超え、母なる大木につつまれ歴史が刻まれている。
地蔵寺へのアクセス
行き方
徳島バス鍛冶屋原線・石井上板線「羅漢」下車 (0.3km) 4【大日寺】より (自家用車)約10分 約2km (徒歩)約25分 約2km 6【安楽寺】より (自家用車)約15分 約5km (徒歩)約1時間15分 約5.3km