太龍寺の基本情報
詳細情報
行き方
20【鶴林寺】より (自家用車)約20分 約10km (徒歩)約2時間30分 約6.5km 22【平等寺】より (自家用車)約25分 約14km (徒歩)約3時間 約12km
文化財
阿波遍路道 太龍寺道、阿波遍路道 かも道、阿波遍路道 いわや道、阿波遍路道 平等寺道、阿波遍路道 太龍寺境内(国の史跡) 本堂、大師堂、御影堂、護摩堂、多宝塔、六角経蔵、本坊、仁王門、鐘楼門(国の登録有形文化財) 太龍寺の丁石(県の史跡)
御由緒
「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており、よく知られている。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781〜86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。 皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573〜92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。徒歩では、中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。1,200年のむかし、大師の修行時代をしのばせる迫力、風格をそなえた古刹である。
札所
四国八十八箇所第21番 阿波秩父観音霊場第10番
太龍寺へのアクセス
行き方
20【鶴林寺】より (自家用車)約20分 約10km (徒歩)約2時間30分 約6.5km 22【平等寺】より (自家用車)約25分 約14km (徒歩)約3時間 約12km