あじとじんじゃ

網戸神社


栃木県小山市網戸2025
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

網戸神社の基本情報



名称
網戸神社
かな
あじとじんじゃ

詳細情報

名称
網戸神社
かな
あじとじんじゃ
都道府県
栃木
住所
栃木県小山市網戸2025
行き方
情報募集中
御朱印
あり
御祭神
田心姫命
御由緒
当社の主祭神、田心姫命(たごりひめのみこと)(水運の神)をいつ頃勧請したか、 未だ明らかではないが、社殿の再建は、平城天皇の御代、大同元年(西暦806)10月28日である。 醍醐天皇の御代に、延喜式内に列したともいわれたが、詳らかではない。 天慶2年、藤原秀郷は、平将門追討に際し当社に祈願し、戦勝の砌、金百貫文を奉納した。 源頼朝も、文治3年、小山政光の妻、寒川尼を当地方の地頭職に任じ、当社に領地を寄進した。 以来、尼公をはじめ、歴代の網戸城主の崇敬も篤く、小山家の定紋「左二ツ巴」を、 当社の神紋としている。 この頃、藤原一族の祖神、天児屋根命(あめのこやねのみこと)(人神の間をとりもつ神)を併せて祀った。 江戸時代、後光明天皇の頃より、寛政・文政にかけて、社格問題その他で揺動し、かつ曲折した。 かくてその後、古河藩の治下にあっては、在郷の篤志家等が、神官を輔翼して、当社を護持し、維新を迎えた。 明治新政府は、国家神道の観点から、神社の再編成をなしたが、当地方は大幅に遅れた大正3年5月20日、渡良瀬川改修工事の一環として堤防拡幅がなされ、当社は、 本宿二四四八番地の千古の杜より、旧城内に遷宮した。 この年の8月19日、沼ノ台の浅間神社、庚申塚の皇宮神社、高揚の熊野神社、折本の奥瀬神社、本宿の八坂神社、大境の神明宮を合祀し、 既存の水神宮、天満宮、千形神社、権兵衛稲荷神社、三峯神社等と共に境内神社とした。 神職は、天正以降、小山家譜代久楽持家の世襲である。

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