間々田八幡宮の基本情報
詳細情報
行き方
・JR宇都宮線 間々田駅から車で5分(徒歩35分) ※駅西口よりコミュニティバスあり(間々田四丁目公民館バス停下車 徒歩10分) ・東北道・佐野藤岡ICより約30分 ・圏央道・五霞インターより40分
創建時代
奈良時代・天平年間(729年~749年頃)
文化財
・間々田のじゃがまいた(国重要無形民俗文化財) ・間々田八幡宮のコナラ(小山市天然記念物)
歴史
歴史[編集] 創建は天平年間(729年~749年)と伝えられる。 939年(天慶2年)、平将門討伐の為、藤原秀郷が戦勝を祈願。乱を平定したのち、このご神徳への恩返しとして神田を奉納した。以降、この一帯は飯田(まんまだ)と呼ばれるようになったという。 1189年(文治5年)には、奥州藤原氏討伐に向かう源頼朝が参拝。境内に松を植える。この松は「頼朝手植えの松」として氏子に守られてきたが、1905年(明治39年)に枯死した。 江戸時代には朝廷より日光に遣わされた例幣使が道中必ず参拝する習わしとなっていたという。
御由緒
間々田八幡宮の創建は大変古く、今から約1300年ほど前の奈良時代中期(天平年間)と伝えられています。 939年頃に起きた平将門の乱に際しては、藤原秀郷が、当八幡宮に戦勝を祈願し、見事乱を平定。このご神徳へのご恩返しとして、神社にご神田を奉納されました。 以降、当八幡宮が鎮座する一帯は、飯田(まんまだ)の里と呼ばれるようになります。 鎌倉幕府成立直前の1189年。奥州藤原氏との合戦に臨んだ源頼朝は、先の藤原秀郷の戦勝祈願を知り、自らも当八幡宮に参拝。境内に松を植えました。 この松は、1905年(明治38年)に枯死するまで『頼朝手植えの松』として、氏子らにより大切に守られていたそうです。 さらに江戸時代に入り、日光街道が幕府の手により整備されると、この地がちょうど日光と江戸の中間点となることから、地名が飯田(まんまだ)から間々田(ままだ)へと改められました。 以降、松尾芭蕉も宿泊するなど、日光街道11番目の宿場町として、間々田宿は大変栄えることとなります。 また、この時代には朝廷が日光東照宮に毎年例幣使を遣わしていましたが、当八幡宮が大変由緒あることを聞き、道中必ず参拝することが習わしとなっていたそうです。 神社は1712年に神階正一位を授位。 しかし、1800年初頭の享和年間に惜しむらくも社殿焼失。郷人たちは、社殿の燃え残った灰を集めてご神霊とし、仮殿を建てて安置しました。 念願の社殿再建が成ったのは、その約50年後の1851年。 この再建工事に関係した職人は、折しも東照宮大修理にあたって各地から集められた宮大工達で、本殿内外の彫刻に、今もその優秀な技術をしのぶことができます。
引用元情報
「間々田八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%96%93%E3%80%85%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=76841707
概要
間々田八幡宮(ままだはちまんぐう)は栃木県小山市間々田にある神社。旧社格は村社。
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り重要文化財祭り花手水
間々田八幡宮へのアクセス
行き方
・JR宇都宮線 間々田駅から車で5分(徒歩35分) ※駅西口よりコミュニティバスあり(間々田四丁目公民館バス停下車 徒歩10分) ・東北道・佐野藤岡ICより約30分 ・圏央道・五霞インターより40分