まんぷくみつじ

滿福密寺


栃木県栃木市旭町22-27
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

滿福密寺の基本情報



名称
滿福密寺
かな
まんぷくみつじ

詳細情報

名称
滿福密寺
かな
まんぷくみつじ
都道府県
栃木
住所
栃木県栃木市旭町22-27
行き方
情報募集中
御朱印
あり
御本尊
大日如来、三鬼尊、子授け観音、縁結び歓喜天、身代り地蔵尊
御由緒
真言宗智山派の寺院。山号を「教王山」、院号を「遍照光院」という。奥の細道霊場十八番札所。 鎌倉時代の1262年(弘長2年)、洛南醍醐寺報恩院の学僧 憲深和尚の室にいた朝海法印が、日光修験に赴いた折、下野国都賀郡太平山の山麓(現 栃木市薗部町)に住坊を建立し、山林修行に励む傍ら天下泰平・万民豊楽の祈祷を行ったことに始まる。 天正年間、皆川城主・皆川広照の栃木城及び城下町造営の際、命によって現在の地(栃木市旭町)に移され、城下町東の木戸守衛を兼ねる。1591年(天正19年)11月には、関東八州に移った徳川家康の鷹狩りの折休息所となり、住持の応接にすこぶる満悦し朱印五石を賜わる。 以来寺勢大いに振い、江戸期には十間四面の大本堂を中心に、大門・御成門・多宝塔・大師堂・薬師堂・不動堂・稲荷社・聖天堂・三鬼堂・大書院・住房等が、広い境内に建ち並ぶ大伽藍を擁した。しかし1862年(文久2年)、大火により堂宇をことごとく失った。 全山焼失110年後の、1972年(昭和47年)現住 長澤弘隆が晋住し、復興の機運を得て本堂を再建し、1985年(昭和60年)には客殿・住坊を建設。さらに、2011年(平成23年)、開創750年を期に新本堂「大毘盧遮那殿」を建立。旧本堂は大師堂となり、同時に境内も大規模整備された。

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