報恩寺の基本情報
詳細情報
本堂
現在の本堂は戊辰戦争の戦火で焼失したのを、その後再建したものである。
御由緒
報恩寺の開山は宇都宮藩藩主奥平家昌の正室・仙遊院(本多忠勝の娘)、創建年は1639年(寛永16年)といわれる。しかし、家昌の正室は1611年(慶長16年)に、また家昌自身も1614年(慶長19年)に没しており、創建年の1639年(寛永16年)と食い違う。 1639年には、家昌を継いだ後、幼少のため一時古河に所替えとなった奥平忠昌が、後継の本多正純を継いで宇都宮藩主となっていた。寺域には宇都宮氏の五輪塔があるが、その由来は不詳である。報恩寺は創建当時は市内松が峯にあったが、その後伊賀町西原(現在地)に移された。戊辰戦争(宇都宮城の戦い)では、寺域に近い六道の辻が主戦場となり、その戦火で本堂を焼失している。