こんごうざんずいほうじ

金剛山瑞峯寺(金剛不動尊)


栃木県鹿沼市草久2239
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

金剛山瑞峯寺(金剛不動尊)の基本情報



名称
金剛山瑞峯寺(金剛不動尊)
かな
こんごうざんずいほうじ

詳細情報

名称
金剛山瑞峯寺(金剛不動尊)
かな
こんごうざんずいほうじ
都道府県
栃木
住所
栃木県鹿沼市草久2239
行き方
関東バス 古峰原線 JR鹿沼駅(JR日光線)より60分 東武新鹿沼駅(東武日光線)より50分 「金剛山」下車 徒歩0分
御朱印
あり
宗旨・宗派
真言宗醍醐派
山号
古峯原 金剛山
御本尊
金剛童子(金剛大権現)
御由緒
今から凡そ1250年前、聖武天皇の御代、天平宝字元年(757年)に、日光山を開いた勝道上人(しょうどうしょうにん)によって当山奥之院三昧石(三枚石)が開創されました。 御年二十三歳の時であります。下野の名刹出流山(いずるさん)より奥之院にきた時に、峯に古色蒼然とした広大な原野があるので、古峯原(こぶがはら)と名づけられました。一説には華供(はなく)の峯が供峯(くぶ)になり古峯(こぶ)になったともいわれています。 金剛山という名称は、弘法大師が上人の遺弟道珍法師に金剛界の大法を授けた説と、建武年間(1234―1235)に後醍醐天皇の勅願によって大和の国(奈良県)葛城別当賢道(けんどう)僧正によって、葛城金剛山の分霊を奉じて本尊金剛童子を祭った説があります。 中古以来日光山発展と共に古峯原も峯修行に多くの修行者来山し、興隆してまいりましたが、明治初年の神仏分離令による政体の変更、大正8年の大洪水による本堂並びに庫裡、客殿の流出等、諸般の事情により、当山も一時哀徴の一途をたどりましたが、先師の努力により、霊域も回復、有縁の浄地を現在地に求めて、堂宇を建立、法燈を護持して今日に至っております。 今から凡そ1250年前、聖武天皇の御代、天平宝字元年(757年)に、日光山を開いた勝道上人(しょうどうしょうにん)によって当山奥之院三昧石(三枚石)が開創されました。 御年二十三歳の時であります。下野の名刹出流山(いずるさん)より奥之院にきた時に、峯に古色蒼然とした広大な原野があるので、古峯原(こぶがはら)と名づけられました。一説には華供(はなく)の峯が供峯(くぶ)になり古峯(こぶ)になったともいわれています。 金剛山という名称は、弘法大師が上人の遺弟道珍法師に金剛界の大法を授けた説と、建武年間(1234―1235)に後醍醐天皇の勅願によって大和の国(奈良県)葛城別当賢道(けんどう)僧正によって、葛城金剛山の分霊を奉じて本尊金剛童子を祭った説があります。 中古以来日光山発展と共に古峯原も峯修行に多くの修行者来山し、興隆してまいりましたが、明治初年の神仏分離令による政体の変更、大正8年の大洪水による本堂並びに庫裡、客殿の流出等、諸般の事情により、当山も一時哀徴の一途をたどりましたが、先師の努力により、霊域も回復、有縁の浄地を現在地に求めて、堂宇を建立、法燈を護持して今日に至っております。
札所
北関東三十六不動尊霊場 第十七番
体験
仏像御朱印札所・七福神巡り

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