日枝神社の基本情報
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御由緒
社傳に曰く本社は桓武天皇延暦二十年801田村将軍東征之時諸神の擁護を以て終に東國を平定せしめたるにより東國に山王権現七社を勧請せりと云ふ 本社はその一社なり 后後冷泉天皇永承六年1051奥州の夷酋賴時亂を起こす 鎮守府將軍陸奥守賴義に命して賊を討たしむるの際本社に戰勝を祈願し遂に其亂を鎭せしを以て神代製造の雷槌と稱する物を奉納し其品今に寳物として本社に藏す 往古は社記録も完備在りし由なるか久安四年1148四月野火の爲に民屋敷十家を延焼し遂に社殿も類焼に罹り寳物記録等悉皆烏有に屬す 依て同年十月宮殿再築して遷座す 其後幾星霜を徑るに従ひ破砕に及ひ改築すること四回に至る 其年間は寛正三年1462十月 正徳三年1713三月 寛政十二年1800十二月 天保五年1834十二月にして壯麗なる本社今尚存せり 正徳三年1713十二月祠官上京神祇官領長上吉田殿に謁し神位宣旨を乞ふ故に正一位を贈らる 殊に武將崇敬の社にして地頭より三反二畆歩の餘地を附しありしも維新の際上地せらる 本社の寳物には天下に珍らしき雷槌叉久安四年1148に調進したる祭膳の久しきもの他社に稀にして見るべからさるものと云ふべし