寶蔵寺の基本情報
詳細情報
文化財
山門は切妻、桟瓦葺、四脚門(本柱の前後に控柱、合計6本の柱で支えられている門形式)。 本堂は入母屋、銅板葺、桁行10間、梁間6間、正面唐破風向拝付、外壁は真壁造、腰壁は板張、上部が白漆喰仕上げ、屋根妻部は塗屋造。
御由緒
真言宗智山派の宝蔵寺(昭和前期に真言宗高野山派に改宗)は、下野国河内郡上桑島村の金剛定寺の末寺で、宝徳二年(1450)10月の祐讃法印による開基と伝えている。寺の由緒によれば、はじめは玉田村字「朝日内」に建立されていたが、鹿沼城主壬生上総介の帰依を受けて城の鬼門除けとして現在地へ移され、城主の祈願寺となったという。寛永十三年(1636)の将軍徳川家光の日光社参に際し宿舎として使用された。慶安元年(1648)8月に幕府より朱印地10石を与えられている。薬王寺と交替で今宮神社の別当を務め、明治四年(1871)までは20か寺の末寺を抱えていた。