杉本稲荷神社の基本情報
詳細情報
御由緒
酒野谷村帰農土豪層の産土神として勸請祭祀されていた。天正期1573-92に17家の総意を以て酒野谷村鎭守に奉斎,祭座が制定された。附属免田が一反二畝八歩があり別当は能泉寺であった。祭典は二月初午。17家座人を一当番組から六当番組に分け交互に祭礼を司祭した。これをムットウと呼んだ。明治五年地租改正で免田は没収されてしまったが,六当座人25名の拠出金で明治七年1874に免田すべてを買い戻す。そして座祭慣行とともに明治,大正,昭和と受け継がれ,現在に至っている。稲荷社由緒の消滅を憂え六当全員の発願によりここに概要を瑑彫して後世に伝う