きいちじ

帰一寺


静岡県賀茂郡松崎町船田39
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

帰一寺の基本情報



名称
帰一寺
かな
きいちじ

詳細情報

名称
帰一寺
かな
きいちじ
都道府県
静岡
住所
静岡県賀茂郡松崎町船田39
アクセス
交通[編集] 蓮台寺駅(伊豆急行線)で下車、東海バスにて道ヶ島、松崎方面に乗り25分。船田バス停下車、徒歩三分。
行き方
■公共交通機関 JR伊東線⇒伊豆急行線、蓮台寺駅で下車。 東海バスにて堂ヶ島、松崎方面へ25分。 船田バス停下車、徒歩3分。 ■車でお越しの方 東名高速道路沼津インターより 国道136号線を経由して土肥、松崎町へ。 宮の前橋交差点を下田方面へ左折、 桜並木の川沿いを5分程で左手の看板を左折。 山門入口手前に駐車場があります。
参拝時間
約15分
参拝料
特になし
お手洗い
本堂裏
御朱印
あり
宗旨・宗派
臨済宗建長寺派
山号
萬法山
開山・開基
一山一寧国師
創建時代
1301年(正安3年)
文化財
一山国師の自画像一幅、自筆一幅、語録二巻 大蔵経輪蔵
歴史
歴史[編集] 正安3年(1301年)に宋国の一山国師により開山。初めは帰一庵と称し、後に一寺と改めた。国師以降数代は公家の帰依僧が来住する。天文年中には小田原北条家より寺領73石、禁制札、下馬札を下附されるも、度々火災に見舞われる。その後、正保年中に徳川家光公地所縄入の際に、代官伊奈兵蔵検地の上、一山国師開基の地であり、50個寺の中本山であることを認められ寺領は従来どおりとされた。慶安元年(1648年)には船田村の寺領20石と寺中竹木諸役免除及び朱印を与えられたが、明治8年(1875年)に寺領と朱印を新政府に還納した。数年後に一部を買い戻した。 臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧白隠...Wikipediaで続きを読む
御本尊
聖観世音菩薩
御由緒
正安3年(1301年)に宋国の一山国師により開山。初めは帰一庵と称し、後に一寺と改めた。国師以降数代は公家の帰依僧が来住する。天文年中には小田原北条家より寺領73石、禁制札、下馬札を下附されるも、度々火災に見舞われる。その後、正保年中に徳川家光公地所縄入の際に、代官伊奈兵蔵検地の上、一山国師開基の地であり、50個寺の中本山であることを認められ寺領は従来どおりとされた。慶安元年(1648年)には船田村の寺領20石と寺中竹木諸役免除及び朱印を与えられたが、明治8年(1875年)に寺領と朱印を新政府に還納した。数年後に一部を買い戻した。 臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧白隠慧鶴(正宗国師)も滞在したとされている。
引用元情報
「帰一寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B8%B0%E4%B8%80%E5%AF%BA&oldid=81081152
概要
帰一寺(きいちじ)は、静岡県賀茂郡松崎町にある、臨済宗建長寺派に所属する寺院。山号は萬法山。本尊は観世音菩薩像、開基(創立者)は宋国から渡来した一山一寧(一山国師)。 寺宝として一山国師の自画像一幅、自筆一幅、語録が二巻ある。 「伊豆八十八ヶ所霊場」の第80番札所、「伊豆横道三十三観音霊場」の第2番札所で、御詠歌は「千代よろず さかゆる法の 花の山 ただひとすじに 帰依したまえよ」。 ドラマ「宮本武蔵」や「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地としても知られる。
札所
伊豆八十八ケ所霊場 第八十番札所 伊豆横道三十三観音霊場 第二番札所
体験
坐禅(座禅)写経・写仏御朱印お守り重要文化財人形供養札所・七福神巡り除夜の鐘法話

バナー


参拝堂について
2017年4月に公開した神社お寺の投稿サイト「参拝堂」は、お陰様で月間450万ページビューを超え、毎月100万人以上の神社寺院・御朱印ファンが集うサイトになりました。
公式神社も880件を超え、神職様僧侶様にもご愛用いただいております。
「参拝堂」は「100年後にも感謝される事業」という理念を掲げた株式会社●●●●が運営しています。