大安寺の基本情報
詳細情報
御由緒
大安寺は山号は乳峰山、曹洞宗の寺院です。 初めは小田原にあって、寂用英順が再興し、近世初頭にこの地に移り、下田領主戸田忠次が開基大檀那となっています。当寺を再興した寂用英順自賛の肖像画が所蔵されており、第三代下田奉行石野八兵衛が建てた夢の墓と呼ばれる石塔が残されています。 寂用英順は戦国時代の天分年間(1532〜1555)から江戸時代初期の慶長19年(1614)の没年まで南伊豆で活躍した曹洞宗の僧侶で、湊に修福寺を開き、太梅寺の住持となり、小田原大安寺の住持も兼ね、その間商業活動にも手を出すなど多方面の活躍をした禅僧です。 境内には薩摩十六烈士の墓(下田市指定史跡)が建立されています。貞享5(1688)年3月、島津藩の支藩日向佐土原藩の船が将軍家献上の御用材を積んで江戸に向かう途中、遠州灘で大風に遭い、止むを得ず材木の一部を海に捨てて下田に入港しました。宰領と船頭の三人が御用材を捨てた責任をとって切腹し、これを見た水主達も自分達だけ郷里に帰れないと、15歳になった七蔵に事情を国元に知らせて遺髪を届けるように言いつけて自害しました。この様子を見た七蔵も跡を追って切腹しました。不可抗力の事情とはいえ、御用材を捨てた罪はまぬがれぬとして十六人の帰葬は許されず、郷里の菩提寺と同名の大安寺に合葬されました。船に残っていた材木は当寺に寄進され、本堂の柱になっています。 なお、幕末開港時のペリー艦隊の入港中当寺において米人が遊女を写真にとっている錦絵が残されています。また、境内から清水が豊富に滑き出ており、町の水道源として利用された時期もありました。