本覚寺の基本情報
詳細情報
御由緒
応永31年(1424)、伊豆国分寺跡に日出上人(にっしつしょうにん)により建てられた日蓮宗の寺です。日出上人は名僧として名高く、伊豆一円を教化し、後に鎌倉に東身延妙巌山(ひがしみのぶみょうげんさん)本覚寺を建立(こんりゅう)しました。 第2代日朝上人(にっちょうしょうにん)は日蓮宗の本山、身延山久遠寺(くおんじ)第11代の法主(ほっす)となりました。 江戸時代には七堂伽藍(しちどうがらん)が立ち並び、現在の三島市立公園楽寿園敷地内に七面堂(しちめんどう)(注)を持ち、10余の末寺(まつじ)と檀家(だんか)千数百戸を持つほどの大寺院でした。 明治23年(1899)、小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう)が楽寿園に別邸を建てるとき、寺領を献上しました。 眼病守護の聖人(しょうにん)として知られ、「日朝さん」と親しみを込めて呼ばれている日朝上人の祈祷祭(きとうさい)が、毎月24日に日朝堂で行われます。 境内(けいだい)に『五畿内志』(ごきないし)の編者、並河五一(なみかわごいち)の墓があります。 → 伊豆国分寺・国分尼寺、並河五一 (注) 日蓮宗の守護神七面天女を祀る