山代神社の基本情報
詳細情報
御由緒
松平三代目,松平綱近時代に古志原に開拓の事業が始められました。しかし,寛文8年から災害・凶作が続き,田畑荒廃し農民大半が退散しました。古志原の地には勝部市右衛門・中島孫兵衛だけが残り,大根島から移住した三郎兵衛・作右衛門を加え四戸のみになりました。勝部市右衛門たちは神名樋山(茶臼山)にあった山代神社の転祀を願い出て,古志原の民生安定のため延宝8年に現在地で祭祀することになりました。 大自然や先祖の営み,悠久の歴史や生命に対して畏怖畏敬の念,尊敬や尊崇の念を持つことが神道の心であり,それが祈りや祭りとして行為と心として表されたのです。 (山代神社御由緒より)