舎那院の基本情報
詳細情報
アクセス
交通アクセス[編集] JR琵琶湖線 長浜駅 徒歩15分
行き方
近江鉄道・湖国バス さざなみタウン前 停留所 徒歩4分 JR北陸本線 長浜駅 東口 徒歩15分
文化財
護摩堂(不動堂)(滋賀県指定文化財)本尊木造愛染明王座像(重要文化財)、本尊木造阿弥陀如来座像(重要文化財)、木造薬師如来座像(長浜市指定文化財)、素文磬(滋賀県指定文化財)、金銅透彫幡(長浜市指定文化財)、絹本著色三月経曼荼羅図(重要文化財)、絹本著色不動明王像(青不動)(滋賀県指定文化財)、絹本著色十六羅漢像(長浜市指定文化財)、絹本著色愛染明王像(長浜市指定文化財)
歴史
歴史[編集] 平安時代初期の弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)を開基として創建したと伝わる古刹。 寺号は新放生寺といい、山号の勝軍山は学頭別当職に就いた源義家による中興の時代(11世紀後半)に後三条天皇より賜ったものである。16世紀後半の度重なる兵火を受けて堂宇を焼失したが、豊臣秀吉によって再興された。 新放生寺は平安時代より長浜八幡宮の学習院であり別当寺を務ていたが、明治時代初期の神仏分離令により子院の一つである舎那院以外は廃された。舎那院には廃された寺院の仏像等が集められ、現在に至っている。現在の住職は吉田龍恵。
御由緒
舎那院は弘仁五年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051年)において、陸奥国阿倍宗任・貞任征討祈願により凱旋の功ありとして、延久元年(1069年)後三条天皇より勝軍山の勅号を賜わり、勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立、社坊三百あまりを数え、天文五年(1536年)には後奈良院より三千石を賜わる。しかし、元亀・天正の兵火にかかり、天正十九年(1591年)秀吉が再興をはかり、七十坊となったが慶長・寛永には三十余坊、天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈(神佛分離)令により、学頭寺の舎那院(当時遮那院)を除く当時残存の六坊は廃寺となり、本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の佛像・宝物等は舎那院に移された。その後荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、昭和十七年(1942年)現状の舎那院に整備されたものである。
引用元情報
「舎那院」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%88%8E%E9%82%A3%E9%99%A2&oldid=88874890
概要
舎那院(しゃないん)は滋賀県長浜市にある真言宗豊山派の寺。芙蓉の名所として知られる。
舎那院へのアクセス
アクセス
交通アクセス[編集] JR琵琶湖線 長浜駅 徒歩15分
行き方
近江鉄道・湖国バス さざなみタウン前 停留所 徒歩4分 JR北陸本線 長浜駅 東口 徒歩15分