ひょうずたいしゃ

兵主大社


滋賀県野洲市五条566番地
授与所:09:00〜17:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

兵主大社の基本情報



名称
兵主大社
かな
ひょうずたいしゃ

詳細情報

名称
兵主大社
かな
ひょうずたいしゃ
都道府県
滋賀
住所
滋賀県野洲市五条566番地
アクセス
アクセス[編集] 交通 JR琵琶湖線 野洲駅下車 近江鉄道バス野洲駅北口バス停から13分 兵主大社前バス停下車 徒歩5分 JR琵琶湖線 野洲駅下車 おのりやす野洲駅南口バス停から安治コースで30分 五条自治会館バス停下車 徒歩3分 駐車場 普通車40台、大型車5台 見学 境内自由 庭園 - 一般300円、学生200円、団体(10名以上)250円 庭園・収蔵庫(要予約) - 一般500円、学生300円、団体400円
行き方
情報募集中
参拝時間
20分
公開時間
授与所:09:00〜17:00
参拝料
なし
お手洗い
あり
御朱印
あり
御朱印帳
あり
創建時代
景行天皇五十八年
本殿
一間社切妻造
歴史
歴史[編集] 社伝「兵主大明神縁起」によれば、景行天皇58年、天皇は皇子・稲背入彦命に命じて大和国穴師(奈良県桜井市、現・穴師坐兵主神社)に八千矛神を祀らせ、これを「兵主大神」と称して崇敬した。近江国・高穴穂宮への遷都に伴い、稲背入彦命は宮に近い穴太(滋賀県大津市穴太)に社地を定め、遷座した。欽明天皇の時代、播磨別らが琵琶湖を渡って東に移住する際、再び遷座して養老2年(718年)、現在地に社殿を造営し鎮座したと伝え、以降、播磨別の子孫が神職を世襲している。また、中国の八神信仰に由来する兵主の神を渡来人が祀り、但馬国を中心に広まったともいう。 延喜式神名帳では名神大社に列し、治承4年(11...Wikipediaで続きを読む
御祭神
八千矛神(大国主神)
御由緒
「兵主大明神縁起」によれば、現鎮座地へ遷座したのは養老二年(718)と伝わる。 「兵主」を「つわものぬし」と読むことにより、中世には武将の信仰が厚く、源頼朝、足利尊氏による社殿の造営をはじめ数多くの武器、武具類の寄進があり社宝として伝わる。 一方では旧不動堂、不動明王立像をはじめ仏教色を残す宝物が多く残存し、当社の信仰圏の広さがうかがえる。
引用元情報
「兵主大社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%B5%E4%B8%BB%E5%A4%A7%E7%A4%BE&oldid=88484887
概要
兵主大社(ひょうずたいしゃ)は、滋賀県野洲市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。正式名称は「兵主神社」であるが、通常は「兵主大社」と称する。 「兵主」の神を祀る神社は日本全国に約50社あり、延喜式神名帳には19社記載されているが、その中で名神大社は当社と大和国穴師坐兵主神社・壱岐国兵主神社のみである。 2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される。
行事
祭事[編集] 兵主祭(5月5日)
札所
兵いち御朱印めぐり(第1番)
体験
祈祷おみくじ御朱印お守り重要文化財祭り武将・サムライ花の名所札所・七福神巡り伝説

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