良畴寺の基本情報
詳細情報
御由緒
平安山良畴寺は鎌倉幕府執権最明寺殿北条時頼公により開創された寺である。諸国巡察のための行脚の途中湖北の地に到った折り、僧形の時頼公に一宿を献じたのが当地の小さな草庵を結んでいた当山開山天山和尚であった。勿論この旅の僧が高貴な人物であることなど和尚は知る由もない。しかし、和尚と時頼公は肝胆相照し、話は山雲海月の情を尽くしたと伝えられている。鎌倉に帰るや時頼公は自ら本尊阿弥陀如来三尊を刻み、当山の伽藍を建立し、方三町の田地を寄し、近江守護佐々木道倫に当山安堵を命じたと寺の古文書は伝えている。弘長二年(1262)ことである。以後織田信長の兵火による灰滅、天災による琵琶湖中への陥没などを経るも脈々と法燈を守り続けている。湖畔の景勝つを訪れる文人墨客は多く、俳聖松尾芭蕉の逗留の証と言われる自刻の芭蕉像が寺に残されており、境内に三箇所の句碑を見ることができる。