水尾神社の基本情報
詳細情報
御由緒
水尾神社は水尾川(今の和田内川)を隔てて河南社と河北社の二社あり、河南社本殿の御祭神は人皇十一代垂仁天皇の第十皇子磐衝別命。また河北社本殿の御祭神は人皇二十六代継体天皇の御母君振姫命であります。 磐衝別王は猿田彦命の天成神道を学ぶため猿田彦を祀る当地に来住され、朝夕猿田彦命を祀る三尾大明神(今の永田村の長田神社)を遥拝されたので、この地を拝所と称し、その後住居を土地の人は拝所御所と云っていました。 磐衝別王は当地で亡くなったので、その御子の磐城別王は背後の三尾山の中腹杣山に葬りら父君を奉斎する水戸神社を当地に創建されました。 それから約百年後に人皇十五代応神天皇の第十一皇子早総別王も天成神道を学ぶため拝戸に来住されて、その四世の孫彦主人王は磐城別王の五世の孫振姫王を迎えて妃とし、振姫は当社の拝殿を産所として天迹部王、男迹部王、太迹部王の三児を同時に安産されました。太迹部王は後の人皇二十六代継体天皇であります。 河北社は三児出産の時、父の彦主人王が北の仮社を建てて北極星に安産を祈られた仮社跡に、天迹部王が両親を奉仕する三重生大明神を創建されたもので、後年これが河北社として比咩神(振姫命)のみを祀る社となりました。 昭和に河北社は台風の被害で倒壊し、河南社の隣に新設して遷座しましたが、のちに本殿に合祀されました。