おほふらじんじゃ

意冨布良神社


滋賀県長浜市木之本町木之本488
参拝自由
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

意冨布良神社の基本情報



名称
意冨布良神社
かな
おほふらじんじゃ

詳細情報

名称
意冨布良神社
かな
おほふらじんじゃ
都道府県
滋賀
住所
滋賀県長浜市木之本町木之本488
行き方
情報募集中
参拝時間
約15分
公開時間
参拝自由
参拝料
なし
お手洗い
なし
御朱印
あり
創建時代
飛鳥時代
本殿
一間社流造
御祭神
《主》建速須佐之男命 《合》大穴牟遅神,猿田彦大神,八意思兼神 《配》梨迹臣命
御神体
大洞山
御由緒
当社の草創は、飛鳥白鳳期にして、大洞山の霊峰を、背にし、天武天皇白鳳4年現在地に祀られる。延喜式制定の時神名帳に、大社なりしが、姉川合戦賤獄合戦に文献等殆んど焼失する。考証するところ隣の田部村、村内の往還道路に鳥居ありて、旅人馬乗して通る時は、必らず落馬したと伝えられている。こうした崇りのため恐れて、取除き大洞山で煙埋したと、今に伝えられている。慶長7年8月、小堀新助が奉行となり、当社を、検地した時、当社周辺を「おほふら」と呼び「王布良」と記している。こうした所から古の神社名を「王布良天王社」とも呼ばれていた。寿永2年5月木曽義仲北国より京へ、出軍の時祈願した其の時兜を置いた石「兜石」が今尚残っている。観応3年8月足利将軍八相山合戦の時、陣を取り加護を祈ったという。当地は、室町時代以降枢要の地にして、武門武将の往来繁く、湖北の将佐々木、又京極に属せし武将井口弾正正氏厚く当社を尊敬し大般若経を寄進されている。応安6年僧寛順願主井口弾正源正氏と銘記あり。足利時代以降地方武家の尊崇も厚く国守京極宗意入道は、上京中江北敗軍の時甲冑を解き当明神に納め開運を祈り飯浦越にて発れ後開運ありて再び参詣し、太刀一振を報賽したが、元亀天正の兵禍のため何れも焼せり。元禄10年の記録によれば当山の中腹に、神前神社(猿田彦命)乃禰神社(八意思兼神)蟻通神社(大穴牟運神)の3社があり総称して「神宮」「上の宮」と呼んでいた。延喜式神名下に列挙されている天正の頃朝倉義景此処に陣を構え「田神城」と、いっていてが織田信長に攻落され其の時三社も兵火にあったが御神像は、安泰で今の社に合祀した。今相殿に鎮座されている。大正10年延喜時代の様式であると、美術鑑査状をうけている。明治初年王布良天王とよび明治6年意冨布良神社と改称した。明治18年郷社に大正14年県社に昇格、この記念に社務所が大改築された。
体験
絵馬祭り武将・サムライ札所・七福神巡り伝説

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